白虎隊 歴史に隠された真相に迫る!
電脳兄弟のりすけです。
今回はこちら!
白虎隊がテーマです!
白虎隊(びゃっこたい)は、会津戦争に際して会津藩が組織した、16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊である。中には志願して生年月日を改め15歳で出陣した者もいたほか、幼少組として13歳の少年も加わっていた。
幕末の会津藩が組織した部隊には他に玄武隊、朱雀隊、青龍隊などがある。名前の由来は、中国の伝説の神獣である「白虎」からである。
wikipediaより
江戸時代末期、ペリー率いる黒船の来航をきっかけに
始まった幕末の騒動からの
明治元年、旧幕府勢力と明治新政府軍が戦った戊辰戦争の局面の一つである
会津戦争にて最年少13歳の少年までもが
隊に参加したと言われている白虎隊の真実とは!?
1.白虎隊は徴兵だった!?
白虎隊は志願制の部隊であって
無理やり徴兵された訳ではないとの説が浮上しています。
会津藩には年齢順に分けられた
四神の名を冠した部隊がありました
50歳以上のベテラン揃いの
玄武隊 36歳〜49歳の
青龍隊 18歳〜35歳の
朱雀隊 15歳〜17歳の少年達の
白虎隊です
白虎隊は一般に最年少部隊と言われていますが
さらに歳が下の幼少組が存在していたそうです
白虎隊の中には生年月日を偽って
隊に所属していたものもいて
14歳〜15歳の幼少組にも入れない
13歳の少年もいたのだとか。
2. 白虎隊全員自刃は誤認識!?
白虎隊とは当初は前線へ出る部隊ではなく
予備兵力として存在していました
所が戦地で窮地を迎える朱雀隊や青龍隊の
両隊を支援しなければならない状態となりました
若く戦いに慣れていない白虎隊の多くは
戦死もしくは負傷による撤退を余儀なくされました
白虎隊自刃の現場となったのは飯盛山
白虎隊全343名の内20名が飯盛山へと
逃げ込んできたと伝わっています
ここで自刃したのは士中2番隊に属していた20名
城下が燃えているのを目にして
鶴ヶ城下が落城したと思い込みます
少年たちは敵に捉えられ生き恥を晒すのを
潔しとせず飯盛山にて自刃することを選択
炎上する城下を少年たちはどんな気持ちで眺めていたのでしょうか?
動画の方では白虎隊飯盛山で自刃した唯一の生き残り
飯沼貞吉についても触れています
是非是非ご覧くださいませ!
この春は会津若松に足を運んでみるのも良いかもしれませんね!
それでは動画の方をご覧ください!
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